競馬ファンの中には、矢野幸夫という人物をご存知の方もいるのではないでしょうか。
日本競馬の騎手として活躍した人物で、引退後には調教師免許を取得して調教師になりました。
そして調教師を引退した後、馬の整体師として活動するようになったのです。
馬も整体なんて受けるのかと驚かれる方も多いと思いますが、人間と同じように硬くなった筋肉をほぐすマッサージなどを施すことで体調を良くすることができます。
人間とのコミュニケーションを良くする効果もあるとされています。
現役時代は目黒記念で優勝騎手
矢野幸夫さんは、北海道にある軍馬を生産する牧場で生まれました。
誕生した時から馬はとても身近な存在で、生活の一部であったといっても過言ではありません。
成長すると騎手になることを志し、1930年に中山競馬場・東原玉造厩舎所属の見習い騎手となりました。
そして1933年に、騎手免許を取得しています。1936年には日本の中央競馬を運営する団体の日本競馬会が設立されており、日本競馬会が日本競馬の運営を担っていました。
日本競馬会時代の1941年に矢野幸夫さんは、優秀騎手として表彰されています。
1948年の目黒記念において、ミツカゼという馬に騎乗して優勝したこともありました。
競馬界は1948年から1954年にかけて、国(農林省)が主体となって行う国営競馬の時代でした。
矢野幸夫さんは国営競馬時代の1951年にも、最高技能賞を受賞しています。
その後、農林省馬部による国営競馬は日本中央競馬会に引き継がれています。
木槌と針で沢山の馬を元気にしてきた
矢野幸夫さんは引退後、調教師の免許を取得して中山競馬場で厩舎を開業しました。
1978年に三浦トレーニングセンターが開設したことにより移転し、引退するまでの間に通算1060勝をあげてます。中山競馬場では、引退式も行われました。
そして、引退後には整体師として活動するようになりました。
馬の整体に興味を持ったのは、成績不振だった管理馬が整体師によって復調したのを目の当たりにしたからだと言われています。
長生学園に5年間通い、カイロプラクティックの技術を身に付けました。
この技術を自分が管理する馬や他の厩舎の馬にも施していたといいます。
不調に陥っている馬の背骨のズレを見つけ出し、木槌で叩いて調整することで馬の状態を良くしていました。
馬に針を打つといった整体方法も実施しています。
種馬だった馬がインポテンツに陥った際に、背骨のズレを見つけて矯正した結果、数日後には種付けが可能になったという逸話も残されています。